「”学校に行かないのもアリ”という法律」をつくる!

不登校も選択肢のひとつ」って、以前このブログに書いたんですが、

そのことをずっと考えてます。

 

「学校に行かない」というのも、選択肢のひとつとして認められたら

どんなに子や親は気分的に楽だろうということで・・・、

 

多様な学び保障法を実現する会

「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律(骨子案)」

視点・論点「多様な学びの保障を」奥地圭子

もうすでに、実現に向けて取り組みが始まっているというわけです!!

 

・・・ところで、

「勉強はしたいし高校には行きたいけど、学校(小・中)はいやだ。塾でいい」

・・・このように考える子も当然いるでしょうね。

 

つまり、このことって、教育産業にかかわっている人にすれば、すごいビジネスチャンスですよね。

で、どのくらいニーズがあるんだろう?

 規制緩和が大きく進んで、教育の多様化民営化がどど~とすすむ可能性もあるかも。

それをねらっている人って、絶対いますよね~。

 

この法律の制定によって、ホームスクーリングとかホームエデュケイションとかを考えている人が良かったと思えるようになってほしいです。(ぼくとこもそうです)

 

ちょっと話が変わるんですけど・・・。

 

今、手元にフランス革命のときにコンドルセが国民議会に提出した文書があります。なかなかいいと思うので、ちょっと引用してみますね。

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 諸君、

 自分の要求を充足し、幸福を保証し、権利を認識して、これを行使し、義務を理解して、これを履行する手段を、人類に属するすべての人々に供与すること、

 自分の才能を完成し、従事する権利を有する社会的職務を遂行する能力を身につけ、生得の才能を十全に発達させるための便宜を各人に保証すること、またそれによって国民の間に平等を実際に樹立し、かつ法律によって承認されている政治的平等を実際的なものとすること、

 国民教育の第一の目的はかくのごときものでなければならない。しかして、かかる見地よりすれば、国民教育は公権力の当然の義務である。

 

   (「公教育の全般的組織に関する報告および法案

        ーー1972年4月20日および21日、公教育委員会の名に

          よって国民議会に提出されたーー」

      『公教育の原理』コンドルセ著 松島釣訳 明治図書 p130 )

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すごく感動するんですけど・・・。      (言葉がちょっといかつい ^_^;)

 

フランス革命時にコンドルセたちが考えてた国民教育は、現在の社会ではどうなるんだろう?

学校だけでそれを実現することは、もう不可能になっているのではないかなあ。

 

学校に行かないという選択をする子や親を、今コンドルセたちがいたとしたら、どう思うだろう?

それもありだよね~って、いうんじゃないかな。

ただ、自分たちがその設置を切実に願った学校だからね~。

ちょっとがっかりするかもな~。orz