「復帰」という言葉はもう使わない

この前(12月14日)、丸山康彦さんの講演会があったので、話を聞いて
きました。この人は不登校もひきこもりも経験されていて、
その体験を踏まえて、現在は不登校・ひきこもりの当事者や家族の
方への支援活動をされている人です。


この人の話を聞きながら思ったことを以下に覚え書きします。

適応指導教室」というのがあるけれど、
不登校になった子を受け入れて、出席扱いにするというものだけれど、
そこの目的は「復帰をめざす」

今は不登校であっても、いずれは、学校にしろ、社会にしろ、
そこに属することになるんだから、
わざわざ「復帰をめざす」というのを掲げるのはなぜなんだろう?
嫌がらせか?
そんなふうに思っていたんです。

つまり「復帰」という言葉そのものには別に反対はしていなかったんです。

でも、「復帰」という言葉そのものがおかしい、間違っていると
思い至りました。

「復帰」という言葉には、現在の状態に対する「否定」がある。

「今のままじゃだめだ」という意識が、不登校やひきこもりの人を
苦しめている。

だから、今の状態を受け入れるというか、今をもっと豊かなものに
することを考えなければ・・・。

じゃあ、「今のままじゃだめだ」という意識は、どこからくるか。
これは、周りの問題ではないか。

親や教師、地域、社会。
親が「今のままじゃだめだ」と思っていれば、それは子どもに伝わり、
子どもを苦しめることになる。

「今のままじゃだめだ」と周りがアクションを起こせば起こすほど、
どんどん本人を追い詰めることになる。

だから、まず周りが変わらなければならない。

不登校・ひきこもりの問題は、
その人たちをなんとかするというのではなくて、
周りをなんとかしなくてはならないという問題・・・。

不登校は、その子の問題じゃなくて、学校の問題。

2か月ほど前、ある親が言ってました。
「家庭に問題があれば、その子は家に帰らたがらず、夜間徘徊したり、
家出したりする。本人が学校に行きたがらないのは、
家庭に問題があるからではなくて、学校に問題があるからだ。」

むむ、めちゃ説得力がある・・・。

・・・ということで、とりあえずのまとめ。

不登校・ひきこもりについての、自分の体験をふまえての丸山さんの
考えは、「新しい自分」に生まれ変わるための時間であるというもの。

上山和樹さんも「価値観」の問題があるとおっしゃってましたが、
丸山さんも「価値観」を問題にされてました。

以上、メモ書きです。
それと、ちょっと楽しいことがあったけど、長くなるから、
また今度書きます。